内省することね

モラトリアム人間が自己理解を深めていくブログです。

今思うことを徒然なるままに

色々考えてみて、人と話をしてみてわかったこと。

私は自分と他人が違うのだということを本当の意味で理解していないのだろうということが分かった。

理解していないことがわかっただけで、自分と他人が違うことを理解したわけではないのが中々難しいところではあるけれど。

相談に乗るときとか、自分をその立場に置いてみたり、相手の感情を理解したうえで話すことを心がけているけれど、それが一般的なものなのかはわからんということ。

(まあ、わたし自身がそうあるだろうと思っているだけで、相手がそのように受け止めているかはまた別な話だけれど)

 

自由はトレードオフだということ。虐殺器官に影響されているところも多分にあるが、わりと思っていることが形になっているなと思ったので書く。

組織の話になるけれども、組織に所属するということは自らの行動の決断というか自分の時間の使い方を組織の決断に付随するように決定する必要があるのだろうということを思った。

あと、自分は組織の一部であるけれども組織は自分の一部であってはくれないのだろうということも思った。

組織に所属する⇒時間の使い方に制限が加わる⇒組織内での選択肢が得られる。

こんな感じか。

最初の頃は組織に所属することで得られる選択肢が魅力的だったけれど、今はあんまりという感じか。

今思うのは、組織に所属することで自分はどこにでも行けるということを教えてもらったなということと組織に所属しなくてもわたしはどこにでも行けるのだということ。

これは結構前から思っていたような気がする。

この間話した時よりは組織にこだわる必要ないよな、と思っている。

 

あの2週間からなんで変えることにしたのか、ということを聞かれた。

今なんとなく思うのは、自分が組織に与える影響が大きいことが分かったということとその責任を積極的に負いたくないんだろうなということ。あと組織に所属することで求められる責任がでかいなあということ。

あのとき一人で背負っていた感はあったけれど、誰かに頼ることができたかというとそうじゃないからあの状況になっていたわけで。結局その中で私が全力で助けを求められる人がいなかったというだけな話しな気がしている。(これ書いているとこころがざわざわしたから、傷をえぐっているからなのか、どこか偽っているからなのか、検討する必要がある。)

あのとき誰を頼れただろうか。頼るための準備が不足していたんだろうなとも思うし、自分がメンバーを信頼できていなかったのかもしれんとも思っている。

やっぱり明確な問題が発生しなければ気に掛ける人なんていないんだろうなということを実感したような、能動的なヘルプを求めなければ放置なのかなとか思う。あとわたしのヘルプの出し方下手くそなんだろうなとも。

(すごくざわつく。なんだろうこれ。けど言葉が上滑りしているような感じはないからそう思っているんだろうなとも思う。)

あの関係性はいい意味でも悪い意味でも対等だ。対等だからこそ言えないこともあるということもよく分かった。人の幸福を祈ることと幸福のために行動することは違うのだなということも分かったと思う。人と関わるときのかかわり方って違うんだということも教えてもらえた。

 

この間話したときに君は信用を失ったよね、といった言葉をもらった。行動から見て当たり前だよなと思っているし、その言葉によって傷ついたわけでもない(と思う)。

しかしながら、自らの一方的な関与でしか得られない信用って綱渡りみたいなもので、給料をもらってやっている仕事やその人の信用というか信頼か、それを得るためにやっている行動でないのであれば別に相手にとって都合がいいというだけで構築されるような信用は自分にとって必要ないなと思う次第で。

このまとまりで結局言いたいのは、信用するために能動的なかかわりをあなたたちはしてくれたのだろうか、という投げかけ。

(この辺りは感情と自己正当化が入っているような気がするから再考が必要かと思う。)

 

 今の思いは、

・わたしは組織がなくてもどこにでも行けるということ。

・組織に対して積極的な責任を負いかねるということ。

・組織のメンバーに対する活動は自分のやりたいことに関わるが絶対的に必要なものではないということ。

・メンバーは好きだということ。

・メンバーと一緒であろうが、現行存在している組織の活動はやりたくないこと。

・組織を変えてまでやりたいことをやるような組織に対する熱量は私の中に存在していないということ。

 

あと、私の行動特性を直す必要があるけれど、それはその組織ではできないんだろうなあとも思っている。だって頼れないんだもん。みんなはみんなの事情があって、その組織最優先にしている人って難しいだろう。そして自分の仕事・感情以外に配慮をする人がどれだけいるだろうか。(結構この辺り逃げが入っているとも思う。)

失敗する自分とその影響を受ける他者を見たくない気持ちもある。その影響を受ける他者というかその影響を受けた他者を認識することによって生まれる自分の感情を受け取りたくないというのが真実であると思うけど。自分の与える影響範囲が思いのほか大きくてそれに対する責任を負いかねるなというのを実感したのが今回なんだと思っている。それほどの責任を負いたいと思えるまで、その組織の活動に愛着をもてなくなったのかなとも思う。

 

たぶん今握りしめている組織に対する未練というか執着は、初恋の人に対する思いと似ていると思った。過去の自分にとって重要だったものが、未来の自分にとって必要なものでなくなってしまうということに耐えられないのもあるんだと思っている。(このあたり言葉綺麗につくっているけど、真実がこうなのかはちょっとあやしいなと自分で思っている)

小さいころもらったぬいぐるみを離せずに握りしめているような気持ち。

あと、先輩が5人で(新歓のとき初めてあったのは3人)、一番最初の新歓に来ている新入生2人。やっていることはいいことでそこにいる人がいい人なのにこの組織なくなっちゃうかもしれないという危機感から入会を決めたけれど(社会と関わりたいと思っていたものあるけれど)、その危機感がなくなっていて、メンバーの組織に対する思いも熱くなっているから大丈夫だろうと思っているのもあるんじゃないかなあ。

まだ関わりたいと思っているのは、最初の頃の名残のような気がする。

 

この辺りはまあ新しく自分が自分を捧げられるようなものを見つけて(自分がそこにいることでより幸福を感じられるような場所)、その組織に対する責任を放棄するのだということを自覚するしかないのかなと思っている。選挙の場にいたし、組織のメンバー好きだから協力したいけど、結局責任を負うことができないのであればそれもやむなしだなと思う。わたしがやりたいことを追求する中で提供することができるものを伝えるぐらいが関の山だろうなという気がしている。

 

双方ともにその存在自体が足かせにならないようにしたいものだなあ。

今回の騒動で私に向き合おうとしてくれた人に感謝を。ありがとうございます。

もっと早くわたしのことについて相談することができていたらなと思えてなりません。

 

自分がやりたいと思う方向へ一歩ずつでも進めていけたらと思います。