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内省することね

モラトリアム人間が自己理解を深めていくブログです。

スペインにて思うこと

いま、マドリードの宿泊先のベッドの上でブログを書いています。

スペイン滞在期間は毎日記録付けたいと思っていたのですが、体力が追い付かずできなかったのでまとめの意味で書いていこうかなと思います。

 

自分の世界がとても狭いこと。

そしてその世界を広げるために行動できていないこと。

 どこかの記事でも書きましたが、今まで自分では自分の可能性を広くするために選択をしてきました。

けれどその選択は自分が生きてきた中で想定できる範囲において可能性を広く持てるようにと決めてきただけであって、世界で生きるひとりとして行動していたのではないのだなと理解しました。

世界の一員として生きるのであれば、世界を理解することは欠かすことはできないと思っています。そのためには世界に流れる文脈を理解する、また理解できるような状態に自分を置くことは必要不可欠です。しかし、私は自分自身がそうでないことを今回の滞在を通じて理解しました。

 

自分のアイデンティティを育った環境から定義できていないこと。

 スペインに来て様々な土地に行きました。そこには様々な人が生きた歴史があって、その土地に生きる人はその歴史の上に生きています。

大学のプログラムの一環で観光に行ったこともあり、その土地・その場所についてとても詳細に私たちに説明してくれました。とても分かりやすく、興味深く、そしてなにより人を楽しませて教えてくれました。

それもあるのか、説明してくれたその人がとても魅力的で、自分の国について誇りをもって、意見を持って生きているように思えてなりませんでした。すべてを肯定するのではなく、目を向けて理解して、自分たちがそこから学び、生きているのだということが伝わってきました。

 それを自分に置き換えてみました。まったく母国について語ることができない自分に気が付きました。よく聞く話に「海外に行くときにもっと自国のことを学んでから行けばよかった。」というものがあります。本当にその通りだなと思いました。

幸か不幸かこの機会ではあまり自国のことについて話す機会はありませんでしたが、自分のバックグラウンドである育った環境を知らずして、どうして自分の生き方・考え方を本当の意味で理解することができるのであろうかと思いました。

 

自分を取り巻く世界・意識外の世界に対して興味を持てていないこと。

 上のものと関係する部分も大きいですが、自分の意識が向いていないものについては興味を持っていないのだなということを実感しました。ただそこにそうあると思っていることであっても、そこにはそうである理由があります。

常識だと思っていることが常識になったのは実は最近のことなのかもしれない、そしてそれが常識になったということはそこに必然性があったからだということに全く思い至っていない自分に気が付きました。

 

思考・意識は再び表出してくるということ。

 「これは考えなければならない」とか「これやりたいな」とか「これできるようになっておかないとな」と思ったことは少し形を変えて自分の意識に表出するということを再実感しました。

ずいぶん昔から旧約聖書や聖書の内容が気になると思ったことがあるのですが(その名残で英語版の旧約聖書が家にあります。)、スペインに来てから文化のベースとして宗教が再び気になるようになりました。 

また、以前に国際的な場に参加したときやカンボジアに旅行に行ったとき、英語を使えるようになっておかないとなと思ったのですが(普段の生活+αの要素として)、海外生活するうえで英語がこんなにも便利なのかと知ったり、日本での自分の普段の生活では英語は身につかないなということを実感して、ああ本当に英語ってわたしに"必要な"ものなのだなと思いました。

 いったん思ったこと、意識したことは解消しなければ自分の周りから消えることはなく、環境を変えることによって意識の埒外に移るだけで存在はしつづけるのだなということを理解しました。

 

 ざっくり書くとこんな感じになるのかなと思います。

スペインに来たことでいつも生活している環境の中で触れ合える人とではなく、世界の中で生きている人と自分を比較することができたのがとてもよかったと思います。

また、これから生活の仕方が変わっていくこのときに多くのことを知ったことが、自分によい影響を与えるだろうと思えてなりません。