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内省することね

モラトリアム人間が自己理解を深めていくブログです。

3月のわたし

ごぶさたしております。ことねです。

久しぶりにブログ見てみたら、最後に書いたのスペイン滞在中だったのかと驚いています。スペインから帰ってきてまだひと月なのかと思い、不思議な気分。

さて今回は3月の簡単なまとめをつらつらと書いていきたいと思います。

 

好きな人できたよ。

結構好き。3月中に告白しようと思っているが、さてあと10日ちょっとでできるかどうか。一緒にいて落ち着くし、かわいいし、癒される。すき。

 

スキー行ったよ。

蔵王にスキー行ってきた。久々のスキーだったがまあ滑れたのでよし。

友人がかわいかったです。来冬は延々と滑り続けるみたいなことをしたいなあ。

道民に声かけてみようかしら。

 

泊りのイベント2回行ったよ。

塩釜と気仙沼。塩釜は恋愛観とか人生観とかもファーストランナー・セカンドランナーとかいろいろなことについて語った。めっちゃ楽しかった。全力で追いかけ続けられる夢を持てた人が羨ましく思える反面、自分にそこまでの熱量を持てる何かがあるのかとか、挫折を認められるのかとかまだまだ未熟だなと思わされた。また語りたいなあ。

気仙沼はゲストハウス行けたのと持ち寄りパーティーが楽しかった。気仙沼から繋がった縁がまた違う形で繋がりそうで今後がとても楽しみです。

企画してくれた方々に感謝の念でいっぱいです。

 

これから関わっていきたい場所ができたよ。

3月に入ってから2回ほど、今まで知っていたけど関わりを持っていなかった団体の活動に参加してきました。とっても温かくて、人を受け入れて、未来につなげていこうとしている素敵な人たちがいました。”今”というときに全力で向き合って、"現在""過去""未来"を語って繋げていくとても素敵な場所でした。まだまだ馴染むには足りないけれど、今からもっと繋がっていきたいなと思っています。もっとたくさんの人が関わればよいのになあと思うので、これからどんどん広めます。

 

ちょこちょこイベント行ったよ。

ほぼほぼ会ったことのなかったジャンルの人と会えたイベントと先輩のイベントにひとつずつ行きました。

立っている場所が違うことで見える景色って全然違うんだなということを学びつつ、地頭すごくいいんだろうなと思ってすごいなと思う。知識があるということは多くの手段を活用しやすいということでもあるし、多様なものの見方ができるようになるということだから見習いたいと思う次第。

先輩のイベントでは自分の少し先のことを見ることができたことと、あんな風になりたいって思える人が身近にいることの貴重さとかそれが選択基準になりうるのだなということを教えてもらった。そして振り返りのタイミングと人との関わりの一種の手法を学んだように思う。

 

組織やめたよ。

やめる前が全くよろしくなかったから"卒業"とは言えないなと思い、その言葉はあの時も使ってない。仕方ないなと思っている。やめるときに話す時間をもらって言った言葉が私の気持ち。

今でもメンバーは好きだし、力になることができるのであれば力を貸したいと思う。

”こんな凄いことやっている組織がなくなるのはもったいないな”と思ったのが振り返った結果、第一の入会理由だったんだろうなと思う。もちろんいろんな機会で言ってきたように”社会と関わりたい”と思ったことも確かだよ。(今思い返せば"社会”に対するイメージが漠然としていることに苦笑するけれど)

今組織を見て、とっても自分勝手なのかもしれないけど「私いなくても大丈夫だな」という思いと「この組織にいなくても私何処にでも行けるな」という思いがある。

そう思えるのは熱心に活動しているメンバーがいるからだし、組織の中でいろんな機会を貰ったからだし、いろいろなことを考えさせてもらったから。

この決断を私は後悔しないし、正解にしていくことが出来ると自分のことを信じている。

(心残りはまだまだあんまり同期と話せてないことだなと思っている。引きずっているし、うまく関われないのがとても寂しい。やること落ち着いたら声をかけるので接してくれると嬉しいです。)

 

今回はこんな感じですかね。

今まで動きっぱなしだったからってここ4日ぐらいだらだらしてしまっているので、今から気合を入れてレポートとお仕事頑張っていこうと思います。

 

それでは皆さん、また今度。

 

ことね

”すべてのことに終わりがある”ということを徒然と

 スペインはマドリードより、ことねです。

明日の朝にスペインを発ち、帰国します。

悲しくて悲しくて、本当に日本に帰りたくありません。

 

 明日の朝起きても、とても優しい先生のスペイン語と英語の混じったとても分かりやすい授業を受けることはできません。

ここ数日でとても仲良くなることができたスペイン人の友人たちと片言のスペイン語と日本語と少しの英語で会話をすることもできません。

そして何より今この思いが日本に帰って、この生活から離れたらいつか消えてなくなってしまうかもしれないと思ってしまう自分自身がとても悲しいです。

 今日の最後の授業は本当に悲しくて悲しくて仕方がなくて、泣けて泣けて涙が止まりませんでした。そのときの先生の"すべてのものに終わりがある"という言葉がしみじみと今の私の胸に響いています。すべてのものに終わりはあるけど、また始めることができる、この生活とはまた違った形で繋がることができるとそう信じています。

終わりがあるからこそ先に進めるのだと走り続けていきます。

 

 スペインでの生活は本当に楽しくて、学ぶことがたくさんありました。他者と比較することで自分の中で自分を開拓することができていない場所がたくさんあることを実感しました。また、スペインで出会った人は本当にみんな優しくて、泣きたくなるぐらい温かかった。本当に離れがたくて一緒にいたくて仕方がありませんでした。

 この留学を通じて、学問を続けること、学び続けることが人とつながる術になりうるのだということを感じました。また、こころが満たすことが、やさしさがどれだけ人を幸せにすることができるのかということを多くの人から教えてもらいました。

たくさんの温かいものをたくさんの人にもらいました。

まわりまわってその人たちのこころが温かくなるように多くの人に関わって、温かい交流を築いていきたいなあと今思っています。

 

備忘の意味をこめてつらつらと、以下やることリストです。

・スペイン留学についてのFB投稿をする。(英語・スペイン語・日本語)

・DELEA2の学習を始める。

・スペイン留学等に関する情報収集をする。

・学部の勉強をする。(特に日本経済。レポート準備)

・英語の勉強をする。

・いろいろなところに行ける自分をつくる。

スペインにて思うこと

いま、マドリードの宿泊先のベッドの上でブログを書いています。

スペイン滞在期間は毎日記録付けたいと思っていたのですが、体力が追い付かずできなかったのでまとめの意味で書いていこうかなと思います。

 

自分の世界がとても狭いこと。

そしてその世界を広げるために行動できていないこと。

 どこかの記事でも書きましたが、今まで自分では自分の可能性を広くするために選択をしてきました。

けれどその選択は自分が生きてきた中で想定できる範囲において可能性を広く持てるようにと決めてきただけであって、世界で生きるひとりとして行動していたのではないのだなと理解しました。

世界の一員として生きるのであれば、世界を理解することは欠かすことはできないと思っています。そのためには世界に流れる文脈を理解する、また理解できるような状態に自分を置くことは必要不可欠です。しかし、私は自分自身がそうでないことを今回の滞在を通じて理解しました。

 

自分のアイデンティティを育った環境から定義できていないこと。

 スペインに来て様々な土地に行きました。そこには様々な人が生きた歴史があって、その土地に生きる人はその歴史の上に生きています。

大学のプログラムの一環で観光に行ったこともあり、その土地・その場所についてとても詳細に私たちに説明してくれました。とても分かりやすく、興味深く、そしてなにより人を楽しませて教えてくれました。

それもあるのか、説明してくれたその人がとても魅力的で、自分の国について誇りをもって、意見を持って生きているように思えてなりませんでした。すべてを肯定するのではなく、目を向けて理解して、自分たちがそこから学び、生きているのだということが伝わってきました。

 それを自分に置き換えてみました。まったく母国について語ることができない自分に気が付きました。よく聞く話に「海外に行くときにもっと自国のことを学んでから行けばよかった。」というものがあります。本当にその通りだなと思いました。

幸か不幸かこの機会ではあまり自国のことについて話す機会はありませんでしたが、自分のバックグラウンドである育った環境を知らずして、どうして自分の生き方・考え方を本当の意味で理解することができるのであろうかと思いました。

 

自分を取り巻く世界・意識外の世界に対して興味を持てていないこと。

 上のものと関係する部分も大きいですが、自分の意識が向いていないものについては興味を持っていないのだなということを実感しました。ただそこにそうあると思っていることであっても、そこにはそうである理由があります。

常識だと思っていることが常識になったのは実は最近のことなのかもしれない、そしてそれが常識になったということはそこに必然性があったからだということに全く思い至っていない自分に気が付きました。

 

思考・意識は再び表出してくるということ。

 「これは考えなければならない」とか「これやりたいな」とか「これできるようになっておかないとな」と思ったことは少し形を変えて自分の意識に表出するということを再実感しました。

ずいぶん昔から旧約聖書や聖書の内容が気になると思ったことがあるのですが(その名残で英語版の旧約聖書が家にあります。)、スペインに来てから文化のベースとして宗教が再び気になるようになりました。 

また、以前に国際的な場に参加したときやカンボジアに旅行に行ったとき、英語を使えるようになっておかないとなと思ったのですが(普段の生活+αの要素として)、海外生活するうえで英語がこんなにも便利なのかと知ったり、日本での自分の普段の生活では英語は身につかないなということを実感して、ああ本当に英語ってわたしに"必要な"ものなのだなと思いました。

 いったん思ったこと、意識したことは解消しなければ自分の周りから消えることはなく、環境を変えることによって意識の埒外に移るだけで存在はしつづけるのだなということを理解しました。

 

 ざっくり書くとこんな感じになるのかなと思います。

スペインに来たことでいつも生活している環境の中で触れ合える人とではなく、世界の中で生きている人と自分を比較することができたのがとてもよかったと思います。

また、これから生活の仕方が変わっていくこのときに多くのことを知ったことが、自分によい影響を与えるだろうと思えてなりません。

"しょうらい"のゆめの話

 わたしの幼稚園時代の"しょうらいのゆめ"は『かわいいお姉さんになること』だった。

 幼いころのわたしは可愛かった。同じ幼稚園だった中学同級生男子にも証言はもらっているから信憑性はあるのではないだろうか。

("今は見る影もないよな"みたいな反応をもらったことは置いておこう。)

 白いレースのスカートがお気に入り。おしゃれをしたいときはお母さんがつくってくれた四葉のクローバーのワンピースを着て、いつもちいさな猫のぬいぐるみを持っていた。(いつだったか忘れたけれど、珍しく行った家族旅行先でお土産に買ったぬいぐるみだったと思う。そういえばそんなこともあったような。)

誰からもよく泣かされて、兄ちゃんに「泣くな女だろ」と言われて笑って泣き止むような女の子だった。兄が小学校高学年になってからは見る影もないが、昔はとても優しいお兄ちゃんでお兄ちゃん子だった。兄ちゃんと兄ちゃんの友達にかまってもらうのが好きだった。

 小学校の卒業アルバムの中の文集。"しょうらいのゆめ"について書いた。

4つの候補があった。

①経済学部に入る。

想像していたのは北大だったろう。為替に興味があった。

②獣医になる。

この辺り「動物のお医者さん」の影響を受けている。ハムテルかっこいいよね。

③薬剤師

医療関係に関心はあっても医者になるとは思わなかったし、看護師にもなりたくなかったんだと思う。小さいころ母親が医療事務をやっていた時期、兄妹揃って風邪気味で(私はインフルっぽかったんだけども)二人で病院の中母さんを待っていたときに見知らぬ看護師さんが声をかけてきてくれたようなぼやっとした記憶がある。人見知りしてたから怖かったんじゃないかな。

④漫画家

そのころ丁度自分の中での銀魂最盛期だったもんね。やりたい度一番高かったけど稼げないと思って最後に書いた気がする。

 結論、『かわいいお姉さん』どっか行った…。卒業するころにはかわいさも消えてたしなあ、まあ仕方なかったのだろうと思っている。

 

 

  中学・高校は言わずもがな受験ですから、将来の夢どうこうではなかった。自分の選択肢をできる限り広く持とうと思って勉強した。めちゃくちゃ熱心というわけではなかったがそれなりに。

 大学に入って、将来何やりたいのと聞かれることが多くなった。受験が終わり、大人からの目線が就職に行くことも影響するのだろうと思う。

 今思うことはやはりわたしの"しょうらいのゆめ"は『かわいいお姉さんになること』なのだろうということ。

職業・仕事としては「"人がはたらく"ということに関わる。より働く人が働きたいかたちで、自らが選んだ仕事を通じて幸せになれるようなお手伝いをする」(言葉がまとまらないからあとで修正する)ということになるけれど、生き方としては『かわいいお姉さん』でありたいと思う。

 自分が思うようなあり方・生き方をして、それで幸せで。人と関わって楽しめて。

会った人に素敵な人だなと思われるような『かわいいお姉さん』でありたい。

今は情けないけれど、ちいさなわたしがわたしのことを好きで『かわいいお姉さんね』って言ってくれるような人でありたいと思う今日です。

 

 なんでこんなこと今書いているかというと、生き物を家に置くだけで掃除しようとする気がおきるよという話を聞いて、実行しようと切り花を買ってきたからです。

ピンクのガーベラかわいい。ちゃんと女の子しよう週間というか最低限文化的な生活を送りたいと思います。

今日は以上。それでは皆様、おやすみなさい。

今思うことを徒然なるままに

色々考えてみて、人と話をしてみてわかったこと。

私は自分と他人が違うのだということを本当の意味で理解していないのだろうということが分かった。

理解していないことがわかっただけで、自分と他人が違うことを理解したわけではないのが中々難しいところではあるけれど。

相談に乗るときとか、自分をその立場に置いてみたり、相手の感情を理解したうえで話すことを心がけているけれど、それが一般的なものなのかはわからんということ。

(まあ、わたし自身がそうあるだろうと思っているだけで、相手がそのように受け止めているかはまた別な話だけれど)

 

自由はトレードオフだということ。虐殺器官に影響されているところも多分にあるが、わりと思っていることが形になっているなと思ったので書く。

組織の話になるけれども、組織に所属するということは自らの行動の決断というか自分の時間の使い方を組織の決断に付随するように決定する必要があるのだろうということを思った。

あと、自分は組織の一部であるけれども組織は自分の一部であってはくれないのだろうということも思った。

組織に所属する⇒時間の使い方に制限が加わる⇒組織内での選択肢が得られる。

こんな感じか。

最初の頃は組織に所属することで得られる選択肢が魅力的だったけれど、今はあんまりという感じか。

今思うのは、組織に所属することで自分はどこにでも行けるということを教えてもらったなということと組織に所属しなくてもわたしはどこにでも行けるのだということ。

これは結構前から思っていたような気がする。

この間話した時よりは組織にこだわる必要ないよな、と思っている。

 

あの2週間からなんで変えることにしたのか、ということを聞かれた。

今なんとなく思うのは、自分が組織に与える影響が大きいことが分かったということとその責任を積極的に負いたくないんだろうなということ。あと組織に所属することで求められる責任がでかいなあということ。

あのとき一人で背負っていた感はあったけれど、誰かに頼ることができたかというとそうじゃないからあの状況になっていたわけで。結局その中で私が全力で助けを求められる人がいなかったというだけな話しな気がしている。(これ書いているとこころがざわざわしたから、傷をえぐっているからなのか、どこか偽っているからなのか、検討する必要がある。)

あのとき誰を頼れただろうか。頼るための準備が不足していたんだろうなとも思うし、自分がメンバーを信頼できていなかったのかもしれんとも思っている。

やっぱり明確な問題が発生しなければ気に掛ける人なんていないんだろうなということを実感したような、能動的なヘルプを求めなければ放置なのかなとか思う。あとわたしのヘルプの出し方下手くそなんだろうなとも。

(すごくざわつく。なんだろうこれ。けど言葉が上滑りしているような感じはないからそう思っているんだろうなとも思う。)

あの関係性はいい意味でも悪い意味でも対等だ。対等だからこそ言えないこともあるということもよく分かった。人の幸福を祈ることと幸福のために行動することは違うのだなということも分かったと思う。人と関わるときのかかわり方って違うんだということも教えてもらえた。

 

この間話したときに君は信用を失ったよね、といった言葉をもらった。行動から見て当たり前だよなと思っているし、その言葉によって傷ついたわけでもない(と思う)。

しかしながら、自らの一方的な関与でしか得られない信用って綱渡りみたいなもので、給料をもらってやっている仕事やその人の信用というか信頼か、それを得るためにやっている行動でないのであれば別に相手にとって都合がいいというだけで構築されるような信用は自分にとって必要ないなと思う次第で。

このまとまりで結局言いたいのは、信用するために能動的なかかわりをあなたたちはしてくれたのだろうか、という投げかけ。

(この辺りは感情と自己正当化が入っているような気がするから再考が必要かと思う。)

 

 今の思いは、

・わたしは組織がなくてもどこにでも行けるということ。

・組織に対して積極的な責任を負いかねるということ。

・組織のメンバーに対する活動は自分のやりたいことに関わるが絶対的に必要なものではないということ。

・メンバーは好きだということ。

・メンバーと一緒であろうが、現行存在している組織の活動はやりたくないこと。

・組織を変えてまでやりたいことをやるような組織に対する熱量は私の中に存在していないということ。

 

あと、私の行動特性を直す必要があるけれど、それはその組織ではできないんだろうなあとも思っている。だって頼れないんだもん。みんなはみんなの事情があって、その組織最優先にしている人って難しいだろう。そして自分の仕事・感情以外に配慮をする人がどれだけいるだろうか。(結構この辺り逃げが入っているとも思う。)

失敗する自分とその影響を受ける他者を見たくない気持ちもある。その影響を受ける他者というかその影響を受けた他者を認識することによって生まれる自分の感情を受け取りたくないというのが真実であると思うけど。自分の与える影響範囲が思いのほか大きくてそれに対する責任を負いかねるなというのを実感したのが今回なんだと思っている。それほどの責任を負いたいと思えるまで、その組織の活動に愛着をもてなくなったのかなとも思う。

 

たぶん今握りしめている組織に対する未練というか執着は、初恋の人に対する思いと似ていると思った。過去の自分にとって重要だったものが、未来の自分にとって必要なものでなくなってしまうということに耐えられないのもあるんだと思っている。(このあたり言葉綺麗につくっているけど、真実がこうなのかはちょっとあやしいなと自分で思っている)

小さいころもらったぬいぐるみを離せずに握りしめているような気持ち。

あと、先輩が5人で(新歓のとき初めてあったのは3人)、一番最初の新歓に来ている新入生2人。やっていることはいいことでそこにいる人がいい人なのにこの組織なくなっちゃうかもしれないという危機感から入会を決めたけれど(社会と関わりたいと思っていたものあるけれど)、その危機感がなくなっていて、メンバーの組織に対する思いも熱くなっているから大丈夫だろうと思っているのもあるんじゃないかなあ。

まだ関わりたいと思っているのは、最初の頃の名残のような気がする。

 

この辺りはまあ新しく自分が自分を捧げられるようなものを見つけて(自分がそこにいることでより幸福を感じられるような場所)、その組織に対する責任を放棄するのだということを自覚するしかないのかなと思っている。選挙の場にいたし、組織のメンバー好きだから協力したいけど、結局責任を負うことができないのであればそれもやむなしだなと思う。わたしがやりたいことを追求する中で提供することができるものを伝えるぐらいが関の山だろうなという気がしている。

 

双方ともにその存在自体が足かせにならないようにしたいものだなあ。

今回の騒動で私に向き合おうとしてくれた人に感謝を。ありがとうございます。

もっと早くわたしのことについて相談することができていたらなと思えてなりません。

 

自分がやりたいと思う方向へ一歩ずつでも進めていけたらと思います。

 

好きなこと以外をしないという選択

 人生の目標はその人自身が幸福に生きることだと思っています。

 他者から見て幸福に見えるかどうかは関係がありません。その人自身が幸福であると自信をもって言えるかどうか、それが重要だと思っています。

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 私は今まで、未来のための今を選択してきました。未来の自分が困らないように勉強し、選択肢を狭めないように行動してきました。

今まで「今を楽しむための行動がわからなかった」ことも要因の一つではありましたが、それがその時の自分にとって最も良い選択だったと今でも思っています。

 現在、私は自分自身で今を楽しむことができます。

好きなことを好きだと言えるし、行動することへの抵抗も年々減ってきました。

そうなれた自分のことが好きだし、自画自賛にはなりますが自分自身を凄いなと思うこともできるようになりました。

 行動するにつれて自分のことが以前と比較してわかってくるようになります。

「こういうこと向いてないな」とか「これ、やりたくないことなんだな」とか。

マイナスに思うようになる状況から抜け出せなければ、自分のできない面・嫌な面ばかりが見えてきて、自己嫌悪のループに入るようになってきます。

そのループから抜け出すためには、できないことを無理してやらない、という選択をすることが最もよい選択肢であるように思えました。

他者から見て無責任かもしれません。しかし、選択をし、自分で決断をする必要があるのだと今思っています。

 様々な選択をした人を見てきました。どうしてその選択をしたのか、自信をもって選択をしたのだと教えてくれる人や聞いても教えてくれない人もいました。けど、それは自由を行使した結果なのです。

 私は今、選択をします。自分の好きなことをして生きています。どちらでもいいことは切り捨てます。自らにかかる責任をコントロールします。無理をしません。今の自分のためになり、未来の自分のためになる行動をします。未来のために今を犠牲にしません。今のために未来を犠牲にしません。

選択したことが幸福であると言えるように、私にとっても、他者にとっても最も良い選択を。

 

どんな顔すればいいかわからないけれど、ひとまず今日は顔を出したいなと思う次第。

どんなテンションで、行ったとしても何をすればいいのかわからないし、迷惑かけること必至だけどね。不義理をしている分、これ以上この状態が続かないように、自ら行動を。

 

2月に思う、これからやりたいこと

記事も書かずに予約投稿をしていたのを忘れていました。

今書くために未来の私が贈りものをしてくれたのだと思いつつ、書きます。

(2017/2/22@Madrid)

 

・地元・日本について学ぶ

 自分は日本について何を語ることができるのだろうと思ったとき、まったくない自分に気づきました。また私の地元についてもほかの人に比べて碌に話せないなと思っているのでその思いを払拭すべく学んでいきたいと思う所存。まずは日本の宗教の歴史について学んでいきます。

 

・世界に存在する宗教について学ぶ

 スペインに来て様々な絵画や建築物を見ました。美しさはわかるのですが、無知なもので残念ながら素晴らしさや意味するものが表面上でしか読み取れませんでした。

より文化を理解することができるよう、人々の文化の根本にあるものを理解するため行動します。

 

・英語を使う

 日本で生活している中ではほぼ英語を使うことはありません。そのような状況であれば英語が上達するはずもありません。得られる情報の幅を広げる、また自分のとれる選択肢を広げるという意味で上達するためまたコミュニケーションをとるために英語を使います。

 

スペイン語の学習を継続する

 スペインに留学したからと言ってたかだか2週間であればできるようになったこともすぐに忘れてしまいます。スペインに来て生活が合うことも分かったので、将来スペインでも働けるように実践レベルまでスペイン語を使えるよう学習を継続します。

また、この期間で大学の先生が少し身近になったので、これを機に個人的に関係を深めていって様々なことを教えてもらいます。

 

・経済を勉強する

 経済学部なのですが、まったく学部の勉強をしていないなとしみじみ思っております。しかし経済は世界に広く浸透している文脈の一つ。せっかく学部にいて学習する環境は整っているのですから、積極的に活用し経済の勉強をします。

 

こんな感じかと。いろいろ書くとやりたいことたくさんで幸せだなとおもうのですが、自分の精神的負担にならないように楽しみつつ行動していきます。